綺麗なものは、みんなきみに似ている気がする。

 ステューシーから伝えられた映画は、海外においても人気の高いとあるSFシリーズものの最新作であり、また学内でも最近よく話題になっている作品だった。
 ステューシー自身、元々そのシリーズのファンであったため試写会を楽しみにしていたそうだが当日ステラと研究会へ参加することになった以上、 第三者よりかは自分に近しい人の感想を聞きたい、と考えた末に私たちへ声をかけてきたらしい。

「大体の事情は把握できた。だが、招待されていた本人以外の者が向かっても今回は問題ないのか?」
「ええ。生憎、研究会の日程と被ってしまったのはあちらの関係者に伝えてあるから、当日この葉書さえ忘れずに持ってきてくれたら問題ないわ」
「なるほど。私は行っても構わんが、……きみは店の営業もあるだろうし、いきなり言われても困るのでは?」
「いえ、お店についてはSNSで事前に店休日をお知らせしておくことができますので、私も大丈夫です。それにこの映画、実は公開が始まったら観に行きたいなと思っていたところだったので……貴重な試写会ですし、むしろそのお誘い自体がありがたく」

 学生の私とは異なり、喫茶店の店主であるにはなかなか都合がつかないのではないかと思われたが、その予想に反して瞳を輝かせた彼女が無邪気にこちらを見つめてくる。

(……、男の私と一緒に行く、ということについてはなんとも思われていないのか、)

 或いは、以前から気になっていた映画の試写会に行けるかもしれないという情報で頭の中がいっぱいになっており、そこに関しては未だが気付けていないだけなのかもしれない。
 そう考えたからこそ、期待に満ちた表情を浮かべているへ本当に私と一緒でいいのかと声をかけようとしたが、私が彼女に尋ねるよりも早くステューシーから試写会の葉書を手渡されてしまった。

「ふふっ。私としても、こんなに喜んでくれているバリスタさんに映画を楽しんできてもらえるのなら、安心して研究会の方に参加できるわ。それじゃあシャカ、……当日は、バリスタさんのエスコートをよろしくね?」

 やたらエスコートの単語を強調して告げたステューシーが、軽やかなヒールの音を鳴らしながら颯爽とこの場を立ち去っていく。そうして私の手元に残された葉書を見て、当日が楽しみですね、なんて言いつつ更に表情を緩めた彼女を見下ろした私は、今更野暮な真似などできるはずもなくただ立ち尽くしていたのだった。

    ◆

(結局、あれから何も聞けなかったな……)

 あの後、待ち合わせ時間と場所だけ二人で話し合って決めたものの、それからの天候が再び晴天続きだったのもあって彼女と会わないまま迎えた試写会当日。
 上映される映画館前では人混みですれ違う可能性を考慮し、敢えて事前に決めておいた待ち合わせ場所――映画館を少し歩いた先にある本屋の入口で待っていると、五分も経たない内に現れたが私を見つけるなりこちらへ駆け寄ってきた。

「シャカさん、お待たせしました! 遅れてしまい申し訳ありません」
「いや、私もつい先ほど到着したばかりだったからそこまで気にしなくていい」

 到着して早々、頭を下げて謝る真面目なに本当に気にする必要がない旨を伝えると、途端に安心した様子で微笑んだ彼女が私を見上げる。今日の彼女は横髪のどちらも耳にかけており、以前大学のカフェテリアで目にしたアイオライトの耳飾りが今もなお美しく煌めいていた。

「先日、シャカさんに似合っていると言ってもらえたのがとても嬉しかったので……それで、その、今日も着けてきちゃいました」

 私の視線がどこに向いているのか気付いたが、我ながら単純ですけれど、と照れくさそうに呟く。

(言葉通りに受け取るのならば。私に、また見てもらいたかった、という意味になりかねないのだが)

 肝心の映画すら始まっていないのに、彼女の言動によってうっかり鼓動が速まってしまった私自身の感情を落ち着けるためにも一度深呼吸する。
 ……こんな時に限って去り際のステューシーが意味深な笑みを浮かべていたのも思い出してしまったが、おかげで幾分か頭が冴えて、冷静さも取り戻せたような気がした。

「ああ。見せてくれてありがとう、と言うのは違うかもしれないが……やはり、その宝石はきみによく似合っていて。綺麗だ、とも思っている」

 なるべく彼女が不快な気持ちにはならないよう、極力言葉を選びながらも伝えると、あの日と同様にの頬がほんのりと赤く染まる。その直後、心から嬉しそうな様子で嫣然と微笑まれたものだから――そんな経験など一切なかった私は、とにかくこの心に生じた動揺を彼女に悟られないようにするのに必死で。

(……本当に、落ち着かねば。ああ、だけどきみが笑ってくれると、)

 私まで浮かれてしまいそうになっているのは、不思議を通り越してどこか新鮮なところもあり。
 改めて、科学者になることを志してきた私とは全く違うにもかかわらず、今日も柔らかく笑うは私にとって得難い人なのだと思った。

    ◆

「最初、状況が絶望的すぎて一体どうなっちゃうんだろうと思いましたけれど……主人公のご兄弟、最後の方で再会できてよかったですね」
「ああ。あの二人の戦闘シーンに差しかかった頃、がずっと心配そうな表情で見守っていたのも覚えている」
「えっ。シャカさん、私の顔を見ていたんですか?」
「見ていた、というよりは見えたと言うべきかな。きみが、あまりに真剣な眼差しで彼らを見ていたものだから、私も二人の行く末について少し思いを馳せてしまった」

 件の試写会が終わった後、お互いに感想を伝え合いながら歩いて映画館を出る。内容に関しては王道のSF映画だったが、結末に至るまでの流れや登場人物の心情がしっかり描写されており、周囲にいた他の観客たちも概ね皆満足している様子だった。

「もう、……私の表情についてはともかく。今日行けなかったステューシーさんに、ちゃんと映画の感想は伝えられそうですか?」
「問題ない。ストーリーの流れも思い出せるが、まずは自分の目で見て楽しみたいだろうからな。結末に関する重要な情報は避けておいて、ステューシーから質問を受けた場合に答えられる範囲のものだけ言う予定だ」

 外を歩く内に、いつの間にか日が落ちて夕方の歩道に映る私との影がどちらも長くなっていたことに気付く。このまま今日が終わってしまえば、また明日以降は雨が降るまで彼女の店に足を運ぶ機会もないだろう。

(幸福で、満たされる時間ほど。あっという間に過ぎ去ってしまう)

 疾うに知っていたはずなのに、一度自覚したら名残惜しさゆえにか歩く速度が遅くなった。
 それでもやがて、の自宅近くの最寄駅まで辿り着いてしまい、相変わらず何も言えないでいた私に彼女が優しく微笑みかける。

「シャカさん、今日は一緒に試写会へ行ってくださりありがとうございました。ステューシーさんとリリスさんにもよろしくお伝えください。それと、ええっと、」
「……?」
「その、……今日、付き合っていただいたお礼に。ささやかながら、こっそり用意していたものがありまして」

 そう言って、持ってきていた鞄からまた別の袋を取り出したが私にそれを差し出す。

「大学院での勉強や、研究でお忙しい中。私と過ごしてくださりありがとうございました。日頃、よくお店に足を運んでくださる感謝も込めたので、シャカさんがご迷惑でなければ受け取っていただけると嬉しいです」
「……、迷惑、などと。きみの気遣いに対して、私がそのように思ったことは、一度もないよ」

 ――むしろ、私こそそこまで気が回っていなかったのに。

 そんな一言を口走ってしまった私の手を掴んだ彼女は、袋の取っ手を握らせてなぜだか楽しそうに目を細める。

「いいんですよ。これは私が、シャカさんに贈りたいなと思って勝手に用意しただけなんですから。シャカさんに嫌がられず、受け取ってもらえるだけで私は充分嬉しいです」
「……」
「あっ。大丈夫だとは思いますが、開封するのはご自宅に帰ってからにしてくださいね。人目を引くものでもないですけれど、街中で見られるのはちょっと恥ずかしいので、なにとぞよろしくお願いします」
「……、分かった、家に着いてから中身を確認する。ありがとう。私も、今日一日をと過ごせて楽しかった」

 私の返事に、明るく頷いたが短い別れの挨拶を告げて改札口の向こうへと消えていく。そうして人混みに紛れて見えなくなるまで、私はずっと、彼女の後ろ姿を見つめ続けていた。

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