明星のきみと歩む

 外から聞こえてきた雨と雷鳴の音で目が覚めた後、暗闇に慣れない視界のまま近くで眠っているはずの人を探す。元々は自身が使っていたベッドにおれを寝かせ、さほど離れていない場所に布団を敷いていたは、この轟音の最中でも起きてはいないようだった。
 こんな真夜中で声をかけてしまうことに気が引けたが、子ども心にますます激しくなってゆく外の様子へ不安を覚えずにはいられず。熟睡していた彼女の肩を何度か揺すったところ、眠そうに目を開けたがどうしたの、と緩い口調でおれに尋ねる。

「起こしてごめん。外、すごい音だったから怖くなって……」
「……そういえば、夜中は嵐になるかも、って天気予報で言っていたね。ドリィ、何か飲みたいものでもある?」
「喉は乾いていないから大丈夫。ただ、その、」

 一人でベッドに戻るのもなんとなく心細い、と正直に告げたら呆れられるかもしれないと思い、暫く何も言えずにいるとの両腕が突然こちらに伸ばされた。
 そうして抵抗する間もなく布団へ引きずり込まれたおれは、当たり前のようにおれを抱き締めてきた彼女の身体とぴったりくっつくような体勢をとらされてしまう。

! か、からだ、当たって、」
「うん。ドリィとくっつくと、あったかいなあ……子ども体温? ぽかぽかする」
「べ、別におれで暖を取らなくても……!」
「いいの。ドリィは子どもなんだから。子どもでいる内は細かいこと、気にせずに甘えたっていいの」

 そう言って、は優しくおれの髪を梳きながら、もう片手でそっと背中も撫でてくれた。
 彼女の優しさに甘え続けてはいけないと分かっていたのに、ずっとこうしていたいと相反することを思ってしまったのも嘘ではなくて。

「ほら。私の心臓の音、分かる?」
「んっ、」
「ちゃんと、耳も当てたら聞こえてくるでしょ」

 子ども相手とはいえ、当時から無防備だったに若干困りながらも諦めて言われたとおりにする。男の自分にはない、柔らかな膨らみの奥から確かに聞こえてきたその音は、存在自体が温い彼女に血が通っている何よりの証だった。

「だいじょうぶ。ドリィは一人じゃないよ。ここには、私も一緒にいるからね」
「うん……」
「ん。ドリィ、いい子だね。明日には、晴れていたらいいなあ」

 別世界から迷い込んだ、素性の知れない子どもだったおれを受け入れたうえに慈しんでくれた彼女は、そこまで口にするとおれより先に深い眠りへ落ちていった。いつまでも途切れない心臓の鼓動と穏やかな寝息に耳をすませていれば、あんなに不安がっていた気持ちが不思議と和らいで、幼かった頃の自分の意識もまどろんでゆく。

(……は、父さんともまた違う。おれの、家族のような人)

 彼女がこうして遠慮なく抱き締めるのも、髪を梳いてくれるのも。その相手が、これからもおれだけであったらいいのにと思ったかつての夜を――大人になった今でも夢に見ているほど。

 おれは、陽だまりのようだったきみを。ずっと忘れられずにいる。

    ◆

 幼い自分では到底守りきれなかった。
 父が海賊になった頃であれば、女性であるきみはおれよりもっとひどい目に遭わされていただろう。そしておれが海兵になったばかりだと、或いはきみと引き離されることになっていたかもしれない。
 だからこそ、昨日、この国で。

「んん、……おはよう、ドリィ」
「ああ。おはよう。よく眠っていたな」
「……もしかして、私よりも先に起きてた? 起こしてくれてよかったのに」

 朝日に照らされて、未だ眠そうに目を擦るあどけないきみと再びめぐり逢えてよかったと安堵する。昔とは逆に、今では年上になったおれが跳ねていた寝癖をなおしてやれば、決して小さくはない腹の虫が鳴り響いて。その途端、恥ずかしそうに顔を赤らめたを見守りながら、久し振りに何の含みもなく笑えたような気がした。

「とりあえず、腹拵えを兼ねてきみの服も見に行こうか」

    ◇◇

 昨日再会したばかりのドリィに起きて早々、お腹の音を聞かれるという恥ずかしいハプニングがありつつも、なんとか気を取り直した私は彼に連れられて花の都と呼ばれるこの国の中心地へ訪れていた。
 そこで朝ご飯をいただいた後、立派な店構えの呉服屋に足を踏み入れれば、綺麗な着物を身に纏っていたおじいさんと目が合って微笑まれる。

「おや、飛び六胞の貴殿がわざわざこちらへいらっしゃるとは珍しい。さては隣のお嬢さんと、何か関係がおありで?」
「ああ。急で悪いが、彼女の着物と履物をいくつか見繕ってやってほしい。ひとまず先にこれだけ渡しておく。足りなければその分、また後でおれが支払おう」
「……ふむ。これだけいただけるのであれば、取り急ぎ着物は五着。加えて履物は二足、といったところがうちの店では妥当だが」
「それで問題ない。ついでに、一着はここで彼女に着付けもしてもらえると助かる」
「承知した。では、着付けの際は拙者の妻にも手伝ってもらうとしよう。その方が貴殿としても安心できるだろう?」
「……」
「沈黙、ということは図星かな? まあ、それはさておきお嬢さん。こちらへどうぞ」

 目の前で交わされるやりとりに口を挟めずにいると、いつの間にかドリィのお金で私の着物などを見繕ってもらう話に進んでしまっていたことに気付き、慌てて彼を見上げる。しかし私と視線が合ってなお、お金のことについてドリィは特に気にしていないらしい。

「代金のことなら気にする必要はない。それにきみこそ、昔はおれにたくさん服や靴を買ってくれていたじゃないか」
「うっ。それは、そうなんだけど……」
「覚えているのならばなおさら、あの頃のお返しとでも思ってくれ。おれは少し別のところへ寄ってくるが、ゆっくりきみの好きなものを選ぶといい」

 本当に金額は気にしなくていいから、と伝えたドリィは優しく私の背中を押した後、いったん一人で呉服屋から出て行く。別のところ、というのが果たして飛び六胞としての用事なのかも分からなかったが、仮に今追いかけてもこの辺りの地理に詳しくない現状ではかえって迷惑をかけてしまうだろう。
 そう判断した私は、大人しくドリィを見送って着物選びを始めるのだった。

    ◆

「……まさか、その着物に描かれている花と同じになるとはな」

 流水文様と白い藤の花が描かれていた着物を纏い、なるべく歩きやすそうな形の下駄も履いていると、ちょうど呉服屋に戻ってきたドリィが私を見て驚いた表情を浮かべていた。私が覚えている限り、昨夜お邪魔したドリィの部屋には花が飾られていなかったはずだけれど一体何が同じなのか。

「この国の女性は、も知ってのとおり髪飾りを身に着けている者たちが多いんだ。本当はきみ自身で選んだ方がよかったかもしれないが、昨日の今日で、見知らぬ場所を長く歩き続けるというのも疲れるだろう?」

 呉服屋を出て、不思議そうに首を傾げていた私に対しそう答えてくれたドリィが、懐から何かを取り出す。いくつかの飾りもついていたそれは華やかな簪で、陽の光を浴びたことによりきらきらと輝いていた。

「わ、綺麗な簪。これも藤の花だけど、お花の色が紫色なんだね。あれ、……もしかして、わざわざ買いに行ってくれていたの?」
「ああ。おれが勝手に選んだものだが、きみを気疲れさせるのもどうかと思って、だな」

 てっきり飛び六胞に関する仕事か何かで離れていたかと思っていたのに、実際には私が着物を選んでいる間に別の店でこの簪を買ってきてくれたらしく。
 よくよく観察してみると、ほんのり耳も赤くなっていたドリィの視線はあらぬ方向に向いていて、今の彼がとても照れているのだとこちらにも伝わってくる。

(この世界では、簪を贈る意味が向こうとは違う可能性もありそうだけれど……)

 そうだったとしても、私を疲れさせないように色々と配慮してくれたドリィへ、きちんと私からお礼は伝えておくべきだろう。

「ドリィ、気遣ってくれてありがとう。私も好きなお花だったから嬉しいよ。ちなみに、今ここで着けてみてもいいかな?」
「! も、もちろん」

 藤の花が連なった美しい簪をドリィから受け取り、持ってきておいた自分の手鏡で確認しながら良さそうな位置に着けてみる。現代ではこんなに華やかな髪飾りを持つ機会もなかったけれど、ドリィから見て今の私はどんな風に映っているだろうか。

「ん、こんな感じかな。ドリィ、どう? 似合う?」
「……、……」
「ドリィ? ……もしかして、イメージと違ってよくなかった?」
「……はっ。い、いや、違う! 似合っているぞ、とても」
「えー? 本当かなあ……」
「嘘じゃない! きみの雰囲気とよく馴染んでいるから、つい見とれてしまっただけで、」
「えっ」
「っ、……お、おれがそんな風になってしまうくらい。本当に、によく似合っている、と言いたかったんだ……」

 すぐに返事が返ってこなかったことで、自分には過ぎた贈りものだったのかしら、と一瞬落ちこみかけた私の気持ちがドリィの言葉によって見事に吹き飛ばされる。
 それどころか、顔まで真っ赤に染めた上でやっぱりこの簪にしておいてよかった、と小声で呟かれた内容も聞こえてしまったせいでなんとなく私も気恥ずかしい。

(お互い、いい大人のはずなのに何やっているんだろう、私たち。でも、……こういうのも、なんとなく楽しいかも)

 頭の上で、しゃらり、と簪から涼やかな音が鳴る。
 身に着けている以上、今の自分ではじっくり見ることができないのを残念に思ったけれど、また後でドリィから贈られたこの簪をゆっくり見つめてみたいなと思った。

「そっか。ドリィにそう言ってもらえて、私、また嬉しくなっちゃった」
「! っ、あ、」
「人、少ないみたいだし。帰るまでの間でいいから、久し振りにドリィと手も繋ぎたいなあ、なんて思ったんだけど……それはだめかな?」

 昔とは比べものにならないほど、大きくなったドリィの手に触れて彼を見上げる。
 手袋越しとはいえ、いきなり触れても払い除けられない辺りドリィは私に対して優しい。

「……、だめじゃ、ない」
「ふふっ。ありがとう、私の我儘も聞いてくれて」

 照れ隠しなのか、それから言葉での返事はなかった代わり繋いだ手に痛くない程度の力が込められて。いっそ私より初々しいドリィの様子に自然と笑みが零れる。

(……なくしたく、ないなあ。この簪も、ドリィとの縁も)

 今の私に、この世界でできることがあるのかどうか分からないけれど。
 せめて、繋いでいる彼の手と離れてしまう時が来たとして――みっともなく縋る真似はしなくて済むように。

 桜色の花びらが舞い落ちる都を歩きながら、私はこの先、何が起きたとしてもドリィと過ごした日々を大切に覚えておこうと決意していた。

■補足
紫色の藤の花言葉は「君の愛に酔う」
白の藤の花言葉は「可憐」「懐かしい思い出」

その他、藤の花全体の花言葉として「優しさ」「決して離れない」というのもあるようです。
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