7月18日
期末テストが終わり、ようやく迎えることができた夏休み初日。
本日は海の日、といってもわざわざ海へ泳ぎに行く気など全く起きず。代わりに冷房がよく効いた店内で涼んでいると、目の前の同級生があからさまに肩を落とした。
「美奈子……浴衣姿も、きっと可愛いんだろうな。でも、この間は断られたし……」
はばたき市の若様と呼ばれ、アルバイト先の雑貨屋シモンでも常に女子たちの視線を集めてやまないこの男――カザマの口から洩れる溜め息は、今も尽きない。いっそ背中にキノコが生えてきそうなぐらい、この真夏らしくもなくじめじめした空気を放っている現在のカザマを見たら、大半の女子たちにはさぞ驚かれることだろう。
始まったばかりの夏休み。特に撮影の予定もなかったところに、ダーホンから突如入った連絡をきっかけとして現在公開中のアクション映画を観てきたはいいものの、俺以外の二人の反応は芳しくなく。ひとまず三人で喫茶店アルカードに移動してきたのだが、カザマだけずっとこんな調子だ。幼馴染の小波に対し、少し前にデートのお誘いを断られたことがなかなかショックだったらしい。
「ダーホン。カザマ、全然回復しそうにないけど」
「うーん。皆で遊びに行ったら、多少気晴らしになるかと思ったのになあ……オレが思っていた以上に重傷みたい。ね、リョウくん。まだ小波ちゃんに、花火大会のお誘いはしていないんだよね?」
「……誘えていたら、こんな風にはなってない」
「そっか。じゃあ、お誘いしてみてだめだったら、この三人で花火大会行く?」
再び小波にデートをお断りされてしまう場面をイメージしたのか、カザマから放たれる湿度が更に増した気がしてげんなりする。男三人で花火大会……まあ、どうせ当日の会場は人混みがすごいだろうけれども、このメンツで行ったらむしろ逆ナンが発生しそうで俺はダーホンほど気乗りしなかった。
「あ、なんならサッくんとかヤノくんにも声かけてみる?」
「あの二人か。どうだろうな。颯砂は確かインハイ前だし、やのサンは劇団の稽古とかで忙しそうだし。氷室君……は、そもそも無理か」
ふと、頭に思い浮かんだ後輩の名前を挙げてみたが、氷室君の性格からして人混みで賑わう花火大会にやって来るとは考えづらく、溶けかけのパフェを口に放り込む。うん、今日もアルカードのスイーツは文句無しで美味い。
夏季限定のメロンソースがかかった甘いパフェに舌鼓を打っていると、なぜかカザマとダーホンが驚きの表情で固まっていた。
「……? なに、二人ともどしたの?」
「あれって……もしかして、ノリくんじゃない?」
「ああ。隣、女子もいるようだが……」
「えっ。マジ?」
カザマとダーホンの視線を追い、アルカードの入口に目を向けてみる。するとそこには氷室君ともう一人、確かに俺の見知らぬ女の子がいて、二人はちょうどアルカードの店員に話しかけられているところだった。
ハーフアップですっきり纏められた髪型に、ドット柄のブラウスとプリーツスカート。それにレース素材のローヒールパンプスを合わせた彼女は、楚々として氷室君の隣に佇んでいる。一見飛び抜けた華やかさこそないが、カザマを見かければ黄色い声を上げる同学年の女子たちと比べて落ち着いた雰囲気があり、どことなく大人っぽい子だと思った。
店員に案内された二人は、俺たち三人が座っている場所からさほど距離が離れていなかった席に向かい合わせで座る。途中、氷室君に俺たちがいることを気付かれるかと思ったが別にそんなこともなく、ほどなくして二人の会話が聞こえてきた。
「浴衣、ちゃんと買えてよかった。一緒に選んでくれてありがとう」
「どういたしまして。ま、君が気に入るものが見つかったようで僕も何より」
「ふふ。外暑かったから、結構喉渇いちゃったな……一紀くん、何頼むか決めた?」
「まだ考え中。飲み物もいいけど、たまにはかき氷とかもありかなって」
「かき氷! 確かに、それも美味しそうだね」
迷うなあ、とアルカードのメニューを眺めて悩んでいる彼女に対し、氷室君がちらちらと視線を送りつつほんのちょっとだけ口元を緩ませる。
はば学で怖じ気づくことなく、氷室君と会話できる女子といえばこれまで小波と花椿姉妹ぐらいしか心当たりがなかった。しかし、見知らぬ彼女はどうやら氷室君とかなり打ち解けているようだ。彼女は一体、何者なのだろうか。
「あの女の子……ひょっとして、音楽室の君かも」
そんな俺の疑問を直接読み取ったわけじゃないだろうけれど、タイミングよく、なお且つ珍しく小声で呟いたダーホンの一言がやけに耳に残る。
「音楽室の君?」
「そそ。今年の春、はば学に転校してきたオレたちと同じ学年の女の子でね。放課後よくピアノを弾いていることから、一部でそんな風に呼ばれているみたい。ついでに、彼女のピアノのファン第一号がノリくんらしい、って情報を最近掴んだピカちゃんがノリくんに突撃していたけど、最後までノーコメントを貫かれて残念そうだったんだよねー」
俺と同じくカザマも彼女を知らなかったらしく、不躾にならない程度にそっと二人のことを見遣る。
結局彼女は白桃のかき氷を、氷室君は抹茶のかき氷をそれぞれ注文した後、二人の話題もやはりこの夏休みのことになっていった。
「そういえば、花火大会の日の待ち合わせってまだ決めていなかったよね? また一紀くんに来てもらうのは申し訳ないし、今度こそはばたき駅で、」
「いいよ。次も、僕が君の家まで迎えに行く」
「えっ……あの、本当に大丈夫だよ? この前言っていた夏バテならかなり良くなったし、せっかくの花火大会でわざわざ私をナンパする物好きな人も、滅多にいないだろうし」
私より可愛い子、たくさんいるんだからきっと大丈夫!
……と、なんてことのないようにのほほんと微笑んだ彼女と正反対に、氷室君はどんどん険しい顔つきになっていく。
(あらら。まあ、仮に女子から同じことを言われたら俺も、氷室君と同じ反応だったかも)
浴衣を着ている女子なんて、男からしてみればそれこそ非日常そのものだ。
だからこそ余計に声をかけようとする奴が増えそうだけど、おそらく氷室君に気を遣った彼女がわざと明るく言ったことに気付いたのだろう。溜め息をついた彼は、片手を伸ばすと優しく彼女の頬に触れた。
「……一紀くん?」
「待ち合わせだって、悪くないんだけどさ……僕が着く前に、もしも君の身に何かあったらと思うと気が気でなくなる。それと、単純に僕が会いに行きたい、っていうのもある」
「え、」
「もちろん、どうしても僕の都合が悪くなった時とかは、やむを得ず待ち合わせをお願いすることもあるかもしれない。でもね? そうじゃない限り、君に変な虫を近寄らせるリスクは、なるべく減らしておきたいんだ」
――ねえ、先輩。後輩の僕のわがまま、聞いてくれる?
すり、とてのひらで頬を撫でた氷室君が、真剣な眼差しで彼女へと尋ねる。
その視線を真正面から受けてしまった彼女は、見ているこっちが思わず同情しそうになるくらい真っ赤な顔になって何も言えず、少し潤んだ瞳で氷室君を見つめ返していた。
……なんだろう、この甘酸っぱい空気。
外野の俺までどきどきしてきたんですけど??
「ふ、……顔、真っ赤だね。林檎みたい」
「っ、ん、」
「僕のことだったら、気にしないで。ただ、頷いてもらえたらそれでいいんだ」
返事は? と、もう一回氷室君が尋ねると、観念した彼女は真っ赤な顔のまま小さく頷く。それを見届けて一応納得できたのか、名残惜しそうにしながらもやっと氷室君が彼女の頬から手を離した。
「……イノリを見習って俺も花火大会、誘ってみるか」
ついさっきまで落ち込み気味だったはずのカザマの声に覇気が戻る。
何はともあれ、目の前で見せられたこの二人のやりとりが、カザマの恋心にも火を点けたのは明白だった。
「おう。頑張れ、カザマ」
「その心意気だよ、リョウくん!」
目を輝かせたダーホンとともにささやかなエールを送る。ところで、氷室君と彼女は付き合っているんだろうか?
残念ながらこっちの疑問に都合よく答えてくれそうな存在はおらず、俺は首を傾げつつも、更に甘さが増したパフェを平らげた。