特別に、きみだけに。こんな気持ちになるんだよ。
最後に訪れてから一ヶ月以上が過ぎていても、店までの道のりを忘れ去ってしまったわけではなく。むしろ、少し懐かしいと思いながら空を見上げれば、鈍色の雲より小雨が降りはじめていた。
天気が崩れるのは予報を見て分かっていたので、片腕に抱えていたものが濡れてしまう前に傘を差して歩く。私が知っている彼女の人柄ならば、おそらく突き返されることはないと考えているものの、受け取ってもらえるかどうかは本人次第だ。しかし、これから何が起きたとしても、私は決して後悔だけはしないだろうという確信があった。
(私が後悔するとしたら、……この感情を、何一つきみに伝えられないままで会えなくなることだから)
ピタゴラスが例えていたように、と顔を合わせていなかった日々の中で彼女にそういった存在ができていても全くおかしな話ではなかった。
実際、彼女の口から告げられたら私とて動揺はするだろうが、その瞬間を以てへの想いが尽きてしまうわけでもない。ゆえに腹を括った私は、まず自らの気持ちを伝えに行こうと決めた。
『やれやれ。やっと会いに行く気になったか……まあ、万が一バリスタに振られたら、その時は飲みにでも行こうかの。無論、シャカの奢りで!』
『もう、リリスったらまたそんな顔しちゃって。でも、シャカの奢りで美味しいお酒を飲みに行く、というのは確かに魅力的な提案ね? いい報告が聞けるのを、私も楽しみにしているわ』
……大学を出る際、なぜか揃いも揃って悪い笑顔を浮かべていたリリスとステューシーから聞き捨てならない言葉をかけられたが。そちらの対応については、また後日考えることにして雑念を振り払う。
やがて、歩み続けたその先で今まさに店の看板を立てかけていた彼女の後ろ姿が見えた。
出逢った時と変わらない、もはや私にとっては見慣れたエプロン姿で佇んでいるを目にしたら居ても立っても居られなくて。足早に駆け寄りながら、いつかの雨夜のように、今日は彼女が怖がるほどの雷鳴が轟いていなくてよかったと思った。
「。その、……久し振り、だな」
「! シャカさん。はい、お久し振りです」
軒先でこちらを振り返ったと、ごく短い挨拶を交わす。そうして、私が片腕に抱えていたものにすぐさま気付いた彼女は、更に驚きの表情を浮かべた。
「そのバラのお花。色合いが綺麗で、素敵ですね。どなたかへの贈りものですか?」
「ああ。私からきみへの、贈りものだ」
「……、え?」
ここを訪れる前、花屋で包装してもらった淡いピンク色の花束をに差し出す。本来は赤の方が適していることも知っていたが、柔らかく笑う彼女には鮮烈だったそれよりも、可憐なこちらの方が似合うだろうと思ったのだ。
「バラの花、というのは古くから気持ちを伝える花として用いられてきたわけだが、贈る本数や色などによってもその意味が変わってくる。きみは、七本のバラがどのような意味を持つのか知っているだろうか?」
一応尋ねてみたが、少し考えた後で首を横に振った彼女へ知らないのも無理はない、とだけ返して歩み寄る。
「七本のバラは、……ひそかな愛。ずっと言えなかったが、私は、きみのことを愛おしいと思っている」
「っ、」
「ちなみに、ピンク色のバラは感謝や幸福の他にも、可愛い人。我が心きみのみぞ知る、なんて意味もあるそうだよ」
色の意味についても詳しくは知らなかったのだろう。頬を染めたが、落ち着かなさそうに私と花束をちらちらと見遣る。
突然の告白で少なからず混乱させてしまったことを申し訳なく思ったが、それ以上に彼女の初々しい反応が微笑ましくて、私にしては珍しく笑い声を上げてしまった。
「……、シャカさん、」
「すまない。きみの反応が、予想していた以上に初々しかったものだから。そういうところも含めて、実に可愛らしい、と思ったんだ」
断じてからかいではなく、私の本心であることを述べると俯いたの口から溜め息が零れる。
一瞬、拒絶されるのだろうかと身構えてしまったが、数秒を経て顔を上げた彼女の目は優しく細められていた。
「分かっています。シャカさんが、理由もなく誰かを傷つけるような人ではないことくらい。あなたは、大学院に通っているほどに優秀な人で。だけど周囲に知識をひけらかすような、そんなタイプの人でもなかった」
「……」
「いつもに増して、雷がひどかったあの夜。覚えていますか? お店の停電が復旧するまで、シャカさんは文句の一つも言わず私に寄り添ってくださいましたね。あなたの大きな手に引き寄せられて、逞しい胸元に頭をくっつけた時。本当は、私もシャカさんに負けないくらい、どきどきしていたんですよ」
知らなかったでしょう、と私を見上げたが穏やかに微笑む。
思い返せば、その時の私は目の前の彼女にもっと近付きたい気持ちを堪えるのに必死で、を注視する余裕などなかったから。彼女もまた、あの夜に胸を高鳴らせていたのだと分かって急に体温が上がった気がした。
「……、そう、だったのか」
「そうなんです。このまま、シャカさんとくっついていられたらいいのになあ、ってはしたないことも考えてしまいました。そのくらい、シャカさんと過ごす時間は私にとって、とても安心感があって。だけど、……あの夜、くっつきすぎたのが面倒と思われて。それで、最近はお店に来ること自体、避けられているのかなとも考えていたんです」
「っ、あの夜のことに関しては、面倒と思ってすらいないが……一ヶ月以上、きみと会っていなかったのも事実だ。不安にさせて、すまなかった」
再び、首を横に振ったが私に向けて手を伸ばす。差し出していた花束を労るように受け取った彼女は、今なお咲き誇る七本のバラを見つめると心から嬉しそうに笑っていた。
「シャカさんが、私に教えてくれた真っ直ぐな気持ち。私にもよく伝わりました。私も、シャカさんを尊敬していて、それで。今まで言えなかったんですけれど、……大好き、です」
彼女がそう言ってくれた瞬間、愛おしさが全身を駆け巡って、とうとうどうにもならなくなった私はそのまま強くの身体を抱きしめた。温かくも柔らかい、そんな彼女は私とはまるで違っているけれど、だからこそ私が惹かれて止まない存在でもあるのかもしれない。
「シャカさん! あの、せっかくいただいた花束、潰れちゃいます」
「……、ああ、すまない。嬉しすぎたあまり、勢いを止められなかった」
――もう一度。今度は、優しくきみを抱きしめてもいいだろうか。
焦ったに軽く背中を叩かれたので、名残惜しいと感じながらもいったん離れてから問いかける。
「ふふっ、……一度と言わず、何度でも。シャカさんの、お好きなだけどうぞ」
花束が潰れていないのを確認し、安堵の息をついていたの許可を得た後に改めて彼女を抱きしめる。
私の腕の中、安心しきった顔で微笑むが愛おしくて。いつかまた、きみが喜んでくれるのならば私から花を贈ろう、と内心で決意する。
「あっ。シャカさん、あちらの方に虹が出ているみたいですよ」
「本当だ。ということは、雨が止んだのだろうか?」
「どうでしょう。ちょっと止んだだけで、また時間が経ったら降り出すかもしれませんけれど。でも、夕焼けに照らされたあの虹も、綺麗ですね」
そう言って、屈託なく笑ったきみとともに雨上がりの夕焼け空を見上げた私の心は、あの空と同じくどこまでも晴れやかだった。
原作とはまた違う現パロの世界観でしたが、とにかくシャカを幸せにしたかった、という当初の目的は果たせたはず。
ついでに私の勝手な想像ですが、このシリーズのシャカは大学院を卒業したら即バリスタさん(夢主)と結婚していそうな気もしてます。
何はともあれ、時に初々しく、偶には(?)大胆に、これからは二人のペースで恋人としての関係性も深めていくのでしょう。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
(2024年11月6日)