きみの瞳に映った月を見ている
眼下に広がる花の都は、つい先日火祭りを終えたばかりとは思えないほど人々の笑顔と活気に満ち溢れていた。ところどころに屋台や太鼓が置かれた舞台等も設置されて、時折楽しげに奏でられる誰かの三味線の音も聞こえてくる。真っ暗な空に花火も打ち上げられたらさぞかし映えることだろう。
国どころか世界そのものが違うのに、少し前まで普通に暮らしていた現代での夏祭りが思い出されてなんとなく郷愁に駆られる。あちらでは一体、どれほどの月日が流れたのか。そもそも知る術すら持たない私には――ただ、在りし日を懐かしむことしかできない。
「。こんなところにいたのか」
探したぞ、と言いながら危なげなく城の屋根に登ってきたドリィが当然のように私の真横に腰掛ける。鬼ヶ島で倒れていた時はあんなに血を流して痛そうに見えたのに、そこから一週間も経たずして、城内を歩けるようにまでなった彼の回復力に驚かされたのはつい先日の出来事として記憶に新しい。
屋根の上に座るのは、ほんの数日前にヤマトくんからコツを教わっていたので今ではそんなに怖いと思わなくなっていた。それなのに、私を探してここまでやってきた彼を見ているとそれだけで胸がいっぱいになって、耐えきれなかった私はそっとドリィの腕に凭れる。
「あんなに人がいるんだ。きみなら、着物さえ着ていればあちらの宴にも紛れ込めたんじゃないか?」
「ヤマトくんにもおいでよ、って誘われはしたんだけどね。今回は断ったの。誰かさんが拗ねそうだったし。それに、ここなら誰の目も気にせず空を眺められるでしょう?」
「……」
「それとも、ドリィは私がここに残っていたら迷惑だった?」
「っ、そんなわけない!」
「ふふっ。冗談だよ。でも、即答してもらえて嬉しいなあ。意地悪なことを言ってごめんね」
焦った表情を浮かべて否定してくれたドリィに対し、微笑ましさを感じながら彼のてのひらを取った私は、自身の両手で包み込む。大きく、逞しい人となった彼ならば多分、この世界で私がいなくともきっと生きてゆけるのだろう。
だけどこうして、誰よりも近い場所で彼に触れていて――今になってやっと、知らず知らずの内に私の中で育まれてきた想いが何だったのかを自覚するに至り。どうしようもなく、顔が火照っていくのが自分でも分かってしまった。
「? 、熱でもあるのか」
「ううん。熱といえば熱、なのかなあ」
「どうにもはっきりしないな……」
「しょうがないよ。だって、私自身が今分かったばかりなんだもの。ドリィのこと、……男の人として、大好きになっちゃったんだなあ、って」
花の都では絶えず歓声が上がる中、暫し静寂が訪れる。
こちらを見下ろしていたドリィは、私の発言に大きく目を見開いたかと思えば、たったの数秒でその顔を私にも負けないくらい真っ赤に染め上げていた。
「だ、だっ、だい、」
「うん。好きだよ。いつだって、私の言葉を聞いてくれて、大事にしてくれて。それから、私を守ってくれた君が。この世界で一番、ドリィが大好きだよ」
「~っ、……本当、に。夢じゃない、よな」
「なんなら、一緒に確かめてみる?」
何を、と呟きかけたドリィの言葉を遮りちょっとだけ背伸びした私は、思いきってドリィの頬へと口付ける。
その瞬間、上空に打ち上がった花火がますます花の都の人々を賑わせて、あちらにいる誰も私たち二人がお城の屋根でこんなことになっているとは予想もしていないんだろうな、と思うと笑みが零れた。いったん唇を離して見上げると、目を見開いたままだったドリィがわなわなと震えていて。そんな彼の、珍しくも可愛い姿にやっぱり笑いが込み上げる。
「ね? これで夢じゃないんだって、ドリィにも分かった?」
「……、ああ、よく分かったよ。ここまでされたら、おれも現実だと認めざるを得ない」
一度だけ、重い溜め息をついたドリィにしっかりと腰を捕まれた直後、私たちの間にあった僅かな距離さえもなくなる。いつになく真剣な眼差しの奥に潜んだ熱を知って、気恥ずかしさから顔を逸らそうとするも、難なく阻まれて図らずも彼と見つめ合うことになった。
「どうした。きみから提案したのに怖じ気づいたのか?」
「もう、……私が照れているんだって、分かった上で言っているでしょ」
「ふふ。おれも、きみにやられっぱなしというのは性に合わないのでな」
「……ドリィは、いいの?」
「何が?」
「自分で言うのもなんだけど。私って、存在自体が結構曖昧かもしれないし。昔、ドリィがこっちへ戻ってきた時みたいに、次は私が戻る可能性もゼロじゃないはずで。それなのに、そんなに見つめられたら……ドリィも、私と同じ気持ちなのかなあ、って期待しちゃいそう」
「いいに決まっている。むしろ、おれから告げたかったぐらいだ」
「え、」
「再びめぐり逢うまでに、随分と時間がかかってしまったが……おれがを忘れた日は一日たりともなかったよ。この国で、ともに過ごすようになってからはますます想いが深まるばかりだった。きみは、きみという人は。おれにとって長年、初恋の人だったんだから、」
立て続けに花火が打ち上がる中、だからの気持ちを聞けて嬉しい、と笑顔で囁いたドリィに唇を塞がれる。
重なった熱はどこまでも熱く、私たちの心をひたすらに溶かしてゆくばかりだった。
◇◇
柔らかな唇を食みながら、これまで間近で見てきた彼女のさまざまな表情を思い返す。笑った顔も憂い顔も、そして今、おれと心を通わせているこの瞬間に恥じらっている顔も。そのどれもが、彼女だからこそ愛おしくて。言葉だけでは到底言い表せそうにない。
「んんっ、……ドリィ、ちょっと待って、」
初めて唇を重ねた後、そのまま離れてしまうのも名残惜しく角度を変えながら温もりに酔いしれていると、とうとうの方から待ったがかかったので大人しく唇を離す。未だに空で咲いている花火によって照らされた彼女の顔はほんのりと赤く、指先で撫でると気持ちよさそうに目を細められた。
(ここが屋根の上でよかった)
二人きりであるがゆえに、蕩けたの顔を見る男が自分以外存在しないことにおれが安堵しているなど、目の前の彼女はちっとも考えていないのだろう。そのくらい無防備ながもっと欲しくて、息を整えていた彼女の身体を自分の方へと引き寄せる。
「なあに? ドリィったら、もう待てなくなっちゃった?」
「ああ」
「えっ、……そ、そっか……」
「聞いてきたのはきみだろ?」
間髪入れず返事が返ってくると思わなかったのか、どう見ても動揺しているを飽きもせずじっと見つめ続ける。多少は落ち着いたはずが、またしてもおれの視線を受けて耳まで赤く染まってゆく想い人の姿に柄にもなく心が弾んだ。
(本当は、こんなにがっつくんじゃなくてゆっくりと慣れさせてやりたかったが)
の気持ちを知ってしまったらもうだめだった。
……欲深く、なってしまったから。
「さっきの一回だけじゃ、足りない。足りねェんだ。おれはもっと、きみを感じたい」
「あ、」
「好きだ。ずっと、……ずっとおれも、が好きでたまらない。きみが隣にいてくれたらそれでいい。いつか、故郷に帰りたくなる日が来たとしてもおれだけはきみを帰さない」
――だからどうか、覚悟してくれ。この先、何があってもおれと一緒に添い遂げる覚悟を。
積み重なった想いが迸るままに告げると、こんなおれに恐れるどころか笑ったが優しくおれの頬を撫でてくれる。慈しみを湛えた瞳には花火の残光が映り、それは長らくこの国で見ることの叶わなかった月の如く、淡い軌跡を描いてから消えていった。
小さな手から伝わる熱を、ほんの少しでも逃がしたくなくて自ら縋りつく。本来ならば別世界の住人だったのことが、おれは好きで、愛おしくてたまらなくて。他に誰も見ていない今だけは、過酷なこの世界のしがらみも忘れてただ彼女と寄り添っていたかった。
「この返事で合っているのかどうか、正直分からないけれど……君がそんなに私を望むのなら、喜んで。ただし、ドリィこそ後で私を離さないでね?」
「離さない。やっと出逢えたのに、みすみす大事なきみを手放すものか。たとえ嫌われてもおれからは絶対、きみを離さないからな」
「ふ、ふふっ。私たち、実はお互いに愛も重い人たちだったのかもね」
「それこそ今更だろう? 他の奴が何を口出ししてこようと関係ない。きみの心がおれに向いて、おれもまた、きみを欲している。重要なのはその一点だけだ」
「うん、……うん、そうだね」
「。改めて、いいだろうか」
柔らかく熱を持った唇を、指先でなぞりながら問いかける。頷いたの瞳はいつの間にか潤んでいて、涙が零れ落ちてしまう前にもう一度口付けた。いつも以上に心臓が煩く鳴っている。それでも、お互いの熱を分かち合うこの行為をもはや止める気にはなれなかった。
「ん、……ドリィ、」
「ああ。どうした?」
「君が満ちるまで、好きなだけ。大好きなドリィだから。何度でも、私を奪っていいよ」
しゃらり、とかつておれが彼女へ贈った簪から今夜も涼やかな音が鳴る。
時を経て、世界も越えて。もう一度めぐり逢ったきみに屈託のない笑顔を向けられたおれは――今この時をもって再び、一生分のきみとの恋に落ちたのだ。
この後も色々と起こりそうな気がしますが、心を通わせた二人ならばきっと一緒に乗り越えてゆけるでしょう。
一年弱かかりましたが、このお話でひとまず当シリーズは完結となります。
ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました!
(2023年11月27日)