カイドウさんちの小間使い

「先週からうちで小間使いを雇うことにした。ヤマトの世話も暫くそいつに任せるから、一回お前も顔を合わせておくといい」

 長年カイドウさんが個人的に雇っていた家政婦が高齢を理由に退いた後、今後の家事をどうするつもりなのかと思いきや、ある日突然なんともなしに告げられた内容にうっかりカイドウさんを凝視してしまった。
 そんなおれに対して気を悪くした様子でもなく、むしろ上機嫌らしいカイドウさんの口から聞き慣れた笑い声が漏れる。

「心配はいらねぇ。後ろ暗いところがないやつなのは、おれ自身の目でもう確認済だ」
「……、そうか。あんたが決めたことなら、おれも特に文句はないが」
「まあ、お前だったらそう言うだろうと思ってはいたけどよ。何せ初めて会った場所が居酒屋だったから、ちゃんと小間使いとして雇うまでに時間がかかっちまったんだ」
「居酒屋……?」
「おう。一人で黙々と飲んでいたのを見かけて、駄目元で居候に興味がないか聞いてみたら、是非前向きに検討させてほしいと言ってきてな。とりあえずその場では名刺の交換だけして、後日、改めて連絡した後うちに越してきたんだ。お前も会えば分かるだろうが、なかなか行動力があって思いきりもいい女だぞ。それと、酒のつまみも含めてメシが美味いところがいい!」

 カイドウさんは楽しげに笑っているが、その発言を聞かされたこちらとしては色々突っ込みたいところがありつつ、敢えて指摘するのも躊躇われてどうにか気を紛らわせようと試みる。

(そもそも、普通の女だったらたとえ酔っ払っていたとしてもカイドウさんと喋ること自体、それなりに気力が要ると思うんだが。ヤマトのことも気になるし、実際にどういったやつなのかおれも確かめておくべきか……)

 万が一、ヤマトの身に危害が及びかねない場合はすぐさま連絡するよう伝えておいた携帯が今まで鳴っていない辺り、おそらく差し迫った状態ではないのだろう。
 それでも今日の仕事が終わり次第、カイドウさんの家に寄っていくことを伝えればあっさりと快諾される。

「ウォロロロ。やっぱりお前は頼りになる秘書だなぁ、キング!」

 ばしばしと容赦なく肩を叩いてきたカイドウさんとは裏腹に、素直に喜んでいいものかどうか分からなくなったおれは、一度溜め息をつくと残りの仕事に取りかかるのだった。

    ◆

「ヤマト、小間使い! 今帰ったぞ」

 玄関の戸を開けたカイドウさんが言い放った直後、軽い足音とともに現れたヤマトがこちらへと駆け寄ってくる。
 以前会った時より丸みを帯びた頬は健康優良児そのものだったが、おれがそんなことを思っているとも知らなさそうなヤマトは、おれの隣に立つカイドウさんを見上げて大層無邪気に笑っていた。

「お父さん、おかえりなさい!」
「ああ。小間使いはどうした?」
「コマさんはね、お鍋を見張っているんだって。ちょうど味が染みてきているところだから、頑張って見極め中です、って言っていたよ!」
「……おい、まさか今夜のメシはおでんじゃねぇだろうな?」
「ううん、違うよ? 後からキムチも足せるように、豆乳のお鍋にするみたい。なるべくたくさん野菜を食べてほしいから、シメの具材もいくつか用意してあるんだって」
「そうか。おれは酒に合うつまみもあるのなら、普通の鍋であっても構わん」
「あれ? キングも一緒にいるなんて、珍しいね。いつも出張とかで忙しそうなのに」

 小首を傾げたヤマトは不思議そうにおれを見ていたが、対してカイドウさんは不敵に笑ってみせるとまたしてもおれの肩を叩いてきた。おれはとっくに慣れているので今更痛みなど感じないが、相手が一般人だったら軽く躓くぐらいの威力はあったかもしれない。

「ウォロロロ! キングもうちの小間使いに興味があるみたいでな。仕事が終わってからにはなったが、急遽うちに寄ることになったんだ」
「は、……いや、カイドウさん。おれは別に、個人的な興味を持っているわけじゃなく、」
「そうなの? じゃあ、ぼく、コマさん呼んでくる!」
「あっ。ちょっと待て、ヤマト!」
「フハハ。個人的じゃなくとも、全くの無関心、ってわけでもねぇんだから間違っちゃいないだろ?」

 笑みを浮かべたままのカイドウさんがさっさと靴を脱ぎはじめたのにあわせて、否定することを諦めたおれも同様にカイドウさんの家へと上がる。広い廊下を直進し、居間に辿り着くまでの道すがら、台所がある方角からは早くも鍋物独特のいい匂いが漂ってきていた。

「コマさん、紹介するね! 隣に立っている人が、お父さんの秘書でもあるキングだよ。ちょっと厳つく見えるかもしれないけれど、悪い人じゃないから安心して」

 本人に向かってその人物紹介もどうなのか、と思いながら視線を動かすと、ちょうどヤマトの傍に立っていた初対面の女と図らずも視線が交わった。
 特別美貌に優れた外見でもなく、むしろ群衆に紛れたら簡単に見失ってしまいそうな印象でしかないその女は、おれに対して特に怯えもせずただ悠長に微笑んでみせる。

「キングさん、初めまして。先週からカイドウさんに小間使いとして雇われた者です」
「ああ、……あんた、名前は?」
「えーっと、ヤマトさんからはそのままコマさんと呼んでいただいています。私、あんまり自分の名前に対してそこまで思い入れがあるタイプじゃなくて……基本的には、カイドウさんのこのお屋敷から外出する機会もそんなに多くなさそうですし。なので、キングさんも差し支えがなければ、単に小間使いと呼んでいただけると助かります」

 今まで散々他の奴が対応してきたような、少しでもこちらに気に入られるため擦り寄ろうとしてくるのではなく。
 本名ではない呼び方が助かる、とまで言いのけた女に少なくとも嘘を言っている様子は見受けられない。

(なるほど。これは確かに、カイドウさんが居酒屋で声をかけるほど愉快になったとしても可笑しくはねぇな)

 ――それに、現時点では仮に正体を見抜けなかったとしても、怪しいところを見つけたらその都度確認のうえで対処していけばいいだけの話だ。

 そう考えた末、了承の頷きを返した直後にヤマトの腹が空腹を訴えだす。
 ほんのりと香る出汁に煮込まれた野菜や肉類といった具材、それからカイドウさん好みと思われるつまみ数品も既に用意されていたこの場所で、こうしておれはいつしか『カイドウさんちの小間使い』と呼ばれるようになる女との邂逅を果たしたのだった。

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