茨の道ほどやわらかい
――ドルネドは、私がいなくてもきっと自分で愉しみを見つけられるんだろうな。
現在座っているボックス席から少し離れたカウンターで、かれこれ二十分以上話し込んでいるドルネドのいつもと変わらない背中を眺めつつ、ぼんやりとそんなことを思う。
仕事が落ち着いたので偶には外で食べないか、と誘われて大人しく着いていった矢先。入店して数分と経たない内に現れた美人なお姉さんに話しかけられたドルネドは、一度溜め息をつくと先に注文を済ませておいて構わない、とだけ告げてカウンターに行ってしまった。多分、別の仕事に関わる案件なのだろうけれど時折私の方を振り返っては勝ち誇ったかのように微笑むお姉さんは、もしかするとドルネドの元カノというやつなのだろうか。
「すまないね、お連れさん。アイツ、この辺ではそれなりに有名な娼婦なんだが……昔からどうにもドルネドの旦那に執心しちまっているみたいで」
とっくに一杯目を飲み干し、次いで頼んだ二杯目のカクテルも持ってきてくれた店員が申し訳なさそうな表情を浮かべて小声で呟く。生憎、私とドルネドはあくまでも攫われた者と攫ってきた者という関係性でしかないはずだが、わざわざそれを伝えに行ったところで妖艶に微笑む彼女の神経を逆撫でするだけだろう。更には仕事中のドルネドにとっても邪魔をした、と判断されて不機嫌にさせてしまう可能性がある。
そこまで考えて、これ以上待ち続けていても楽しくはならないな、と判断した私は一人で艦に戻ってのんびり夕食をとろうと決めた。確か、貯蔵庫に最近ドルネドが仕入れたばかりの新鮮な肉が残っていたはずだ。ついでにここへ訪れる前に見かけた市場にも寄って、調味料と野菜も買い足せばひとまず肉炒めとポトフの二品程度はつくれるだろう。
善は急げ、とばかりに私は二杯目のカクテルもさほど時間をかけずに飲み干す。入店して三十分は経過したのを確認してから席を立つと、そのまま迷わず会計へと向かった。
「ごちそうさまでした。もし、ドルネドから私のことを聞かれたら、先に戻っているとだけ伝えておいてくれますか?」
二杯とも持ってきてくれた店員に対し、心ばかりのチップを手渡しながらその伝言だけ頼んで足早に店を出る。最後に見たのは相変わらず笑っていたお姉さんが、ドルネドの腕に豊満な胸を押しつけている謎の光景だったが、振り払いはしていなかった辺りああ見えてドルネドも満更ではないのかもしれない。
「……、あ。ひょっとして、あれは夜のお誘いってやつだったのかも? うーん、食べるかどうか微妙だけど、一応ドルネドの分も用意しておくべきか……」
市場の方向に歩きがてら、一瞬首を傾げて悩んだものの今夜ドルネドが帰ってこなかった場合は翌朝私が食べる分にしよう、と思い直して足を動かす。
こうして無事二人分の食材を買い足した後、ドルネドの艦まで戻ってきた私は当初の予定通り自分でつくった夕食を満喫し、三杯目として選んだ上等なお酒も口にしてほろ酔い気分のままで寝落ちしたのだが。
「。私に何か、言うことがあるのではないか?」
数時間後。完全にご機嫌斜めなのか、この艦に初めて連れてこられた時を思い出させるほど真っ赤に目を光らせていたドルネドによって、結局は起こされることとなるのである。
◇◇
やたらと私の身体にひっついてきた煩わしい虫から仕事に必要な情報だけを引き出し、当分の間好きに動き回れないよう入念な処置も施した後で漸く艦まで戻ってくると、ソファの上でが気持ちよさそうに眠っていた。ここが私の艦の中であるとはいえ、相変わらず無防備すぎる寝姿に思わず溜め息が漏れるが決して不愉快なわけではなく、自然とその隣に腰を下ろす。
穏やかな寝息も幾度となく聞き慣れたものだったが、相手が眠っている状態なのは意思疎通の点において不便であることは変わらず。少し考えて、私はを自分の方へと引き寄せた。また、普段は背面側に隠している二本の腕でその身体をしっかり掴まえておいてから、彼女の意識を現実に呼び戻す。
「ん、……ドルネド、怒ってる?」
「……」
「一人で戻ってきてごめんね。でも、ドルネドもあの美人なお姉さんと長く話し込んでいたから、もし一晩過ごすつもりなら邪魔するわけにもいかないなあ、と思って」
「先に注文を済ませておいて構わない、と私は言っていたはずだが」
心地よい眠りから起こされたは、既に飲んでいた酒の影響なのか普段よりもどことなく緩い口調になっていた。しかし意識自体に問題はないらしく、ちゃんと私と目を合わせながら自らの意思も伝えてくる。
たったそれだけのことなのに、虫の後処理で軽くげんなりとしていた私の機嫌が早くも良くなってきているのだから我ながら笑えてくる。何かと媚びてくる有象無象の虫共より、目の前にいる彼女の存在自体、もはや私には愉快で堪らないものとなっているようだ。
「そうだけどさあ。少なくとも、私は初めて訪れた店で、何が名物なのかよく分かっていなかったのもあってドルネドにおすすめを聞きたかったんだよ。なのに、あのお姉さんとすぐカウンターに行っちゃって……三十分経っても、全然、戻ってこなかったし」
「……成程。確かに、今回は長く待たせてしまった私が悪かった。本来ならばもっと早く、片が着き次第お前と食事を共にする予定だったんだ」
私が謝罪を口にした後、なぜか身体が固定された状態となっているのに気付いたのだろう。四本の腕を見つめたは、驚愕からその目を見開いていた。そういった素直な反応も含めて私の笑いを誘う事実を、本人は想像していない状況が面白くてまた声が漏れる。こんな私に恐れすら抱いていないところも実に手放し難い。否、ここまできたら手放すという選択自体、私にとってはあり得ないことなのだが。
「ドルネドのお手々、いつの間にか四つある……? あれ? 私、寝ぼけてる?」
「ククク。安心しろ、夢ではなくてちゃんと現実だ。ちなみに、昔はこの四本に加えて更に二本の腕があった。もっとも、とある戦いでどちらも失われて久しいがな」
「……」
「? どうした、」
「今は、」
「む?」
「今はもう、痛くない?」
てっきり、なぜこれまで腕が四本あることを伝えてこなかったのか追求されると思っていた予想に反し、まるで自分自身が痛そうに顔を歪めたがぽつりとそう尋ねてきた。
普段の私の様子を見ていれば疾うに理解出来ているはずだが、そんな一言で突き返すのも何やら違う気がしたので、敢えて質問に答えることにする。
「平気だ。かつて失った二本の腕とて、私にとっては大昔に負った古傷の一つに過ぎない」
「……、そっか。昔のドルネドに、今更何か出来るわけでもないけれど」
――ドルネドが痛くないのなら、よかった。
私の腕にそっと手を添えたが、目を細めて淡く微笑む。
心から安堵しているのだと伝わってくるその表情に、一瞬、こちらの息も止まる程度には見惚れてしまっていた。
(ああ、そういえば二度目にあの店を訪れた時も、お前は私を心配していたのだったか)
この腕に捕えているにもかかわらず、ころころと表情の変わっていくに気付けば私自身が翻弄されている。それでも未だ不快感はない。むしろ、この上なく愉快だ。
「。私は、お前が欲しい」
そう言った直後、ぽかんとした表情を浮かべていたへ衝動的に口付けた。
柔らかな唇を無遠慮に吸い、その隙間から互いの舌を触れ合わせてあっという間に温い腔内をも蹂躙する。
「ん、っ、ン、むぅ……!」
苦しげに漏らされる、彼女のくぐもった吐息すらもっと聞きたくなる。二本の腕でより強く身体を抱きしめながら、後頭部を抑え、最後に残った腕でと己の指同士を絡ませた。
情欲もまた、私には長らく縁のない代物だったが湧き上がっているこの衝動はおそらくそれにとても近しいのだろう、と推測する。今後も私の傍にが在るのは当然として、少しでも離れたくなくなったがゆえにとった行動だった。
「ぷはっ、……ちょっと、なんでキスしたの?」
「言葉の通りだ。お前が欲しくなった」
「いや、うん。それはまあ分かった、けど……っ、こら、ドルネド!」
「なんだ。私は今、お前を蕩けさせるので忙しい」
「は、……えっ、ドルネド。まさか酔ってる……?」
「ハハハ。お前には、私がそのように見えるか?」
嫌がられてはいないのをいいことに、赤らんだの頬と目元へただ触れるだけの接吻も繰り返す。その度に少なからず反応する彼女に、私の気分は良くなっていくばかりで。
(やはり、お前はどこまでも私を愉しませてくれる)
それを強く確信した私は、改めてこの腕に生涯唯一の獲物を囲い込むのだった。