どこにもない心臓のゆき先

 ――なぜ、わざわざ人類の姿を模してまで彼らの営みに関わろうとするのか。
 近頃は直接相対する機会すらもなかったが、私にとっていわゆる同胞と呼べる種族から時に訝しげに、またある時は多少の興味をもってそう尋ねられたことがある。

(だって、天上から眺めているだけの方が、私にとってはとても退屈だと感じたんだ)

 私たちほど長命ではない、むしろ火花みたいに一瞬目が眩みそうな輝きを齎したかと思ったら、あっという間に消えていってしまう程度にはとても儚い人類の一生。
 けれども私は、そんな泡沫の如き彼らの生命にこそ親しみと愛おしさを覚えた。
 永すぎて未だ終わりのひとかけらさえ見えない、停滞した私の生とは全く異なる――美しさと愚かさ、それから勇敢さをも内包した、彼らそれぞれが送る多種多様な人生だからこそ。私は、もっと彼らと近しいところで自らその営みを観測することを望んだのである。

(特にこの店のマスターと出逢えたのは、私にとって間違いなく僥倖だった)

 今夜も色鮮やかなネオンがよく映える、ワーカーズハイの看板を見上げながら厨房で忙しなく働いているだろう無二の友を思う。気付けば私よりずっと熟練の料理人となり、そのうえ腕っ節も含めて強くなった名物店主である彼は、私の正体を知っていてなおこの店で出迎えてくれる大変に稀有な存在だ。
 大昔、戦場でぼろぼろになっていた彼に声をかけた私への恩義もあるのだろう。しかしながら、試しに他の者にも正体を現してみた折。恐怖と嫌悪に引き攣った表情で化け物、と叫ばれたことも、残念ながら一度や二度ではない。
 そういった過去の事象から、私の種族とは人類にとってそう簡単に相容れないモノであるという自覚を持っていたので。良い意味でも悪い意味でも、態度が変わらないマスターのような人物とはこれまで滅多に遭遇しなかったのだが。

「貴方のことが好きです。これからもこうして食事をしたり、お喋りをしたり……共に過ごす時間を積み重ねて行きたい、と望んでいます」

 出逢って三日目には花束を差し出してきたエイメルの、相変わらず実直な声に耳を傾けつつさてどうしたものかと思案する。
 直近の私に対する言動、それと彼が話してくれた部下達との接触から、どうやら相当の好意を持たれているのは察していたが――おそらく初めて抱いた感情であるがゆえに、彼自身も無意識的には戸惑っているような印象があった。

(この先、当然のことだが彼には私よりもまともで、更に魅力的だと思える相手と出逢う機会が訪れるかもしれない。ならばエイメルの将来も加味して、……私ではなく、その人と過ごした方が理に適うのではないだろうか?)

 治安維持部隊に所属し、日頃から真面目に職務に励んでいることも窺えるエイメル自身の人柄の良さは、一般市民の目線で見てもさぞかし頼りになる隊員として映るだろう。
 今回は偶然、マスターの声かけによって常連客である私と相席する事態となったが、彼にとって非日常的だったこの五日間の日々そのものに浮かれていた可能性もゼロではない気がして。

(どんなに名残惜しく心地よい夢であろうと。それもまた、いつかは必ずや覚めるもの)

 仮に同じ気持ちだと伝えたとて、後から私の正体を知って見損なった、思っていたのと違って幻滅したと背を背けられるくらいなら――エイメルのより良き人生のためにも、今夜はいったん冷静になってもらった方がいい。
 そう判断した私は、律儀にも私の返事を待ってくれていたエイメルに向かってようやく口を開いたのだった。

    ◇◇

 いつも仕事で疲れていただろうに、自分との相席を了承してくれたうえ、この五日間一緒に食事や会話にも興じてくれた唯一の人へ告白した翌日。
 開店準備中、と書かれた札がかけられているワーカーズハイの扉を軽くノックしてから店内に入ると、夜とはまた異なった熱気に包まれた厨房から、今やすっかり見慣れたマスターの触手がこちらへ近付いてきていた。

「お忙しいところ申し訳ありません。治安維持部隊のエイメルと申します」
「おや。あんたは確か、ここ数日と相席をしていたやつじゃなかったか?」
「ええ。そのことで、至急マスターにお伝えしたい件がありまして。お時間は取らせません。作業を続けてもらいながらで構いませんので、このまま聞いていただけないでしょうか?」
「ふーん? ……普段は、開店前に無許可で足を踏み入れた時点で、そういった無粋な連中共には即刻お帰り願うところだが」

 ――あんたのその真剣な顔つきを見るに、今回はよっぽどの一大事が起きたようだな。で、が一体、どうしたって?

 私の言葉を聞いたマスターはやや考える素振りをしたものの、この五日間私があの人と過ごしてきたことを知っているためか、早々に警戒が解かれた様子にほっと息をつく。とはいえ、安堵するにも早すぎるので今この瞬間においても全く油断は出来ないのだが。

「実は昨夜、……この店で、さんに好きです、と告白した後。彼女からは考えさせて欲しい、と言われてしまったのですが」
「……ん?」
「同僚に相談したところ、完全にお断りされたわけではないのなら希望は未だ潰えていない。まずはしっかり外堀を埋めていくことも忘れるな、と念押しされまして」
「……、……んん?」
「つきましては、今後も引き続きさんを口説くことを、彼女と旧知の間柄であるマスターにもなにとぞ認めていただきたく」
「……やっべぇ、久々にどこから突っ込んでいいのか分からん案件が来やがったか……?」
「誓って、彼女に無理強いはさせません。しかし、私がさんの傍にありたいという気持ちは……、到底諦められず。これからも共に過ごしながら、誰よりも近くで、あの人の笑顔を見守っていたいのです。そういうわけでマスター、どうかよろしくお願いいたします!」

 困惑しきりのマスターを前に、私は何の躊躇もなく、己の頭を下げてただ彼からの了承を待った。そうしている間、脳裏に私の話を聞いてくれた数少ない同僚の言葉が蘇る。

『考えさせて欲しい、ってことはさ。現時点では結論を出せないけれど、単純にお前の存在がどうしても気に入らない、ってレベルじゃぁなさそうなんだよな~』
『……、……そう、でしょうか?』
『そうそう。そもそも眼中にさえなかったら、考える云々以前にはっきりお断りされるもんだよ。私にはその気が一切ありませんので、的な? こっちがどんなに好きなのか、いくら言葉を尽くして伝えようとしても相手の顔にはでかでかと迷惑ですって書かれてあるんだ。もうね、そこまで行ったら流石に脈無しなんだなって分かるし、潔く諦めるしかないよ。そんなレベルになっても無理に縋ろうとするのは、傍目から見てもかなりかっこ悪いからね』
『……』
『でもさ、あくまでもエイメルの話を聞いた俺の個人的な意見だけど……その人も多分、エイメルのことはわりと気に入っているんだと思うよ。そうじゃなきゃ、普通は数日に渡って同じ相手との相席が続く方が珍しい。ただ、お互い出会って五日しか経っていなかったのもあって、きっとエイメルの告白にびっくりはしたんじゃないかな?』
『!』
『ああ、いや。別にエイメルの告白がダメだった、って意味じゃなくて。その人とは店で会っていたって聞いたけど、つまりは告白前、外でデートしたことはなかったんだろう?』
『ええ、……そう、ですね』
『食の好みが合うかどうかももちろん重要だけど、店以外の場所……たとえば、映画館や水族館、もしくは極端な話、近所の公園でもいい。一緒にどこかへ出かけることで、歩幅が違っていても相手を置き去りにしないかとか、子どもがはしゃいでいる時嫌そうに顔をしかめていないかとか。結構、会話だけじゃ分からなかった相手の素が見える場合もあるんだ』
『……妙に具体的ですが。もしや、デイヴィスの実体験に基づいているのでしょうか?』
『いやいや、ほぼ姉貴からの受け売りだよ。まあ、そこはともかく! こっぴどく振られたわけじゃないのなら、エイメルのことをそういう相手としてより意識してもらえるように、後は行動あるのみだろう? 大丈夫だ、お前は誠実ないい男だから、きっとなんとかなる!』

 その後、任務から戻ってきた私の後輩達とも合流し、何やら話し込んでいた陽気な同僚の姿も思い出して心が綻ぶ。

(そうだ。考えさせて欲しいと伝えてくれたあの人に――告白は、たったの一度しか出来ない、というわけでもない)

 判断材料が少なかったのなら。同僚が助言してくれたように、あの人を誘ってどこかへ出かけてみるのもいいだろう。
 それから、私が彼女のどういったところを好ましいと思っているのか。一緒に過ごせてどんなに嬉しいと思っているのかも、改めて自分の口から伝えたい。

(……今になって振り返ると。私は、貴方との関係を表す言葉を早急に欲したあまり、貴方をとても戸惑わせてしまったのかもしれません)

 けれど。この五日間、私の目の前で美味しそうにマスターの料理を頬張り、笑ってくれた彼女が愛おしいと思った気持ちは、決して嘘ではないから。
 そのことも理解してもらえるまで、今後は言葉と行動の両方で尽くそうと決意した私の様子に観念したのだろうか。ほどなくして、激励も込めていたと思われるマスターの手が私の背中を軽く叩いたのだった。

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